土木おじさんが思う⑤ 寄稿 道路
2026.08.04
土木おじさんが思う
メディカルロード整備
私は旧下館市小川、鬼怒川のほとりで生まれました。小学校時代は、近くの県道を使って2㎞先の学校に歩いて通っていました。県道は穴ぼこのある砂利道。雨の日はぬかるみとなり、晴れた日は埃がひどかったのです。普通自動車はほとんどなく、馬車や荷車が我が物顔でした。近くに砂利取り場があり、それを運ぶトラックが3台。運転手さんとは顔なじみで、時々乗せてもらったりしていました。これが私の車デビューです。遠く、懐かしい思い出です。
県単事業で危険箇所解消
8月は「道路ふれあい月間」、特に8月10日は「道の日」です。今回は、比較的少なめのお金で、短期間で効果のあった道路整備についてお話しします。
昭和57年6月、私は道路建設課へ転勤になり、花の改良グループの一員となりました。最初に担当したのは「特一」(特殊改良第一種事業)です。国の補助事業で、一箇所の事業費は2億円程度。早ければ3~5年で完了させることができ、効果抜群の事業だったのです。幅員が極端に狭い箇所やカーブがきつい箇所をメインに採択してもらいました。100箇所前後を担当していたと思います。
土木事務所で打ち合わせをした後は必ず現場を見て歩き、各市町村にも、用地買収の協力要請をして歩いていました。お昼は事務所の案内で美味しいものを食べ歩きました。おかげで私は、県内のほとんどの県道名も、美味い食事処も、今でもしっかり覚えているのです。
国の補助事業に馴染まないところは、県単費(県単独事業費)の出番です。
当時、茨城県はまだ発展途上。道路整備を急ぐ必要があり、補助金はもらえるだけもらう方針でした。景気対策の補正などを見こして県単費を活用し、設計、測量、一部用地買収などをできるだけ進めておいて、他県が躊躇している間に、より多くもらってしまうのです。
補正でもらったお金は翌年に繰り越すことができません。業界の皆さんも分かってくれていて、残業はもちろん、土日返上で頑張ってくれたのです。私たちももちろん土日返上、残業は当たり前。そんな時代だったのです。
これは、道路建設課と道路維持課の共同で計画をつくり、土木事務所、市町村とみんなで頑張った話です。
一箇所5千万円~1億円程度で原則単年度、長くても2年で効果が出せる箇所、年間100箇所程度を、3カ年計画で概ね300箇所完了させる計画をつくりました。さらに、この事業費は通常の県単枠を越えて別枠要求となります。当然、財政当局は大慌て。いろいろ風当たりは強かったですが、最後は知事裁定に。額は少し削られましたが、見事別枠で事業費を確保できたのです。
これにはみんなで大喜び。さっそく、各土木事務所で管内市町村と施工箇所の選定をしてもらい、本課にあげてもらいました。地域バランスや整備効果を考え箇所付けをして、用地買収が絡むところは、市町村に全面協力をお願いしたのです。
最初に考えたのは病院です。救急車が困っているような箇所を優先しました。これはメディカルロードと名付けました。他にも幅員狭小区間の改良、危険な交差点の改良、通学路の整備、路面補修などを実施したのです。
路面凍結の多い地域で、部分的に日陰を解消すると効果がある箇所については、民有林の伐採なども行いました。所有者の方の了解を取るわけですから、土木事務所と市町村の方々は大変ご苦労されたと思いますが、これはとても効果があったと思います。
どの箇所も期限を切っての発注ですので、土木事務所も建設業界の皆さんも大変だったと思います。その節はお世話になりました。
この計画で県内危険箇所が5~6年で500箇所程度解消したのですから、生きたお金の使い方だと思っています。
今でも県内の道路では、冬季に日陰の凍結による事故が起きたり、困っていることはたくさんあるのではないかと思います。
また、最近では各地で山火事が多く発生していますが、山林火災の延焼を防ぐ意味でも、道路整備は有効です。山の中を通る道路などは、幅を広くとって整備するといいのではないでしょうか。こうしたものも、県単事業で行えばいいと思います。
茨城県が、住みやすく、快適に過ごせる県になるために、県単事業は欠かせません。人の生活が良くなり、暮らしやすくなる事業は、どんどん進めていくべきだと思っております。

