土木おじさんが思う④ 港湾(下)
2026.07.02
土木おじさんが思う
チルソン号座礁事故に対応
前回に引き続いての3番目は、日立港(茨城港日立港区)です。
日立港は昭和32年、久慈商港として埠頭の建設が始められました。全国でも稀にみる難工事だったと聞いていましたが、2年後の昭和34年10月に日立港と改称され、供用開始し第一船が入港しました。
現在では、5つの埠頭に14の公共バースがあり、石油製品や鉱産物などが取り扱われています。釧路とを結ぶRORO航路もデイリー運航されています。
メルセデス・ベンツ日本の完成自動車の輸入や、日産の自動車の輸出など、自動車物流拠点としての機能の他、東京ガスの日立LNG基地の立地によりエネルギー供給拠点としても役割を果たしています。
私は港湾課長の時、チルソン号の座礁事故対応にあたりました。その時に建設業界の皆様と地元漁業協同組合の皆様に大変お世話になったこと、懐かしく思い出されます。改めまして、その節は本当にお世話になりました。ありがとうございました。
また、土木部長の時、東京ガスの誘致のため、東京ガス袖ヶ浦工場の視察に行ったこともよく覚えています。
お昼には美味しいお寿司をご馳走になり、嬉しかった思い出もあります。
日立港の発展のためには、後背地の利用はもちろん、アクセス向上のため、国道245号、国道6号、国道293号の整備を引き続き積極的に進めてほしいと思っています。特に常磐道日立南太田ICとのアクセスが重要なので、よろしくお願いしたいです。
懸案だった国道245号の久慈大橋の架け替えも事業化されているとのことで、喜ばしいことです。山側道路の充実と真弓トンネルにも期待しています。
最後は常陸那珂港(茨城港常陸那珂港区)です。
水戸対地射爆撃場が日本に返還されたのは昭和48年(1973年)です。56年、国の国有財産中央審議会において、国有地の処理大綱が示され、その中で国営公園などと共に流通港湾が位置づけされました。昭和58年に重要港湾に指定され、平成元年に作業基地の整備に着手し、本格的に建設工事が始まったのです。
水深が深く、高波浪の海岸条件であったので、課題が多く、極めて難工事だったと聞いています。今ではコンテナ、RORO航路を中心に、内貿3航路、外貿16航路が運航されています。
臨港地区には建設機械メーカーのコマツと日立建機の工場が立地し、SUBARUの完成自動車も含め建機や自動車の積出港としても活躍しています。また、大規模な出力をもつ東京電力の常陸那珂火力発電所も稼働しています。
私は道路建設課の時、公園、港湾、下水道等、各事業者のための工事用道路を建設するため、爆弾探査を担当しました。たくさんの不発弾があったのです。射爆撃場跡地は、野うさぎやキジがたくさんいて、また綺麗な花もたくさん咲いていました。非常に懐かしい思い出です。
港湾課長の時は、3港統合に先がけて埠頭会社の再編や、防波堤や埠頭の整備、東京電力との協定と大忙しの2年間でした。
当時、常陸那珂港は「無駄な港」「大きな釣り堀を作っている」などと言われていました。企業が来るあてもないのに無駄な造成をしている、などと陰口を言われていましたが、めげずに工場用地の造成工事を進めていたのです。今考えても、みんなで頑張っておいて良かったと思っています。
この港は北関道を通じて、北関東はもちろん首都圏に直結しています。今後、県北地域との連携がもっと深まり、県北への企業誘致などが進むよう、いわゆる北部幹線道路などの整備が引き続き進められるよう期待しています。

