いばらきの公共事業(歴史をたどる)

いばらきの公共事業 県土木部総括技監・部長編⑤

2024.03.09

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

国道354号と霞ヶ浦大橋

渡邊 一夫 氏
元県土木部長

豊島 信拓 氏
元県道路公社理事兼顧問

霞ヶ浦大橋 公社の底力で早期完成

 平成12年、私が道路建設課の技術総括の時に、霞ヶ浦自転車道延長約40㎞を補助採択いただきました。堤防を利用しての自転車道です。何度も何度も現場に行き、細かく打ち合わせをしたことを覚えております。霞ヶ浦は、日本で2番目の面積を誇る淡水湖です。淡水魚類がたくさん生息しており、150種類もの野鳥が飛来するため、自然観察にはぴったりな場所とのこと。本当に、素晴らしい湖だと思っております。
 国道354号は、群馬県高崎市を起点とし、埼玉県加須市を経て古河市に入り、境町、坂東市、常総市を通り、つくば市、土浦市、かすみがうら市、行方市を経て、鉾田市の国道51号交差点に至ります。総延長約197㎞(うち茨城県分約120㎞)の、北関東を東西に結ぶ重要な幹線道路です。
 茨城県では、国道昇格前から重点的に整備を進めてきた路線です。常磐自動車道から西側では、圏央道を補完する道路として、各所で現道拡幅やバイパス工事が進められています。
 私もこの路線には色々関わっておりまして、科学万博の時に谷和原インターからの誘導路として急ピッチで整備を進めたことや、埼玉県境の渡良瀬川に架かる新三国橋の開通式では、茨城県の事務局代表として苦労して取り仕切ったことなどを懐かしく覚えております。また、北浦に架かる老朽化した鹿行大橋の架け替えを、色々とコスト縮減を図りながらやっとの思いで事業化したことも忘れられません。
 このようななか、この路線で特に大きな役割を果たしたのが、霞ヶ浦大橋だったと思います。霞ヶ浦の西浦に初めて架かった橋であり、今でも唯一の橋です。
 霞ヶ浦(西浦)は湖面積約170平方㎞、湖周約120㎞で、琵琶湖に次いで日本第2位の面積を有する湖です。この湖を横断する県道土浦大洋線は、県南横断道路という幹線道路に位置づけされていましたが、これまでは渡船(人、自転車のみ)に頼っている状況でした。
 架橋構想が打ち出されたのは、昭和53年(1978年)。地元要望が非常に強かったのです。諸々の調整を行い、架橋ルートが示されたのは昭和56年(1981年)でした。そして翌年、昭和57年(1982年)、茨城県道路公社が一般有料道路事業として施工することになりました。通常の整備事業では事業化が非常に難しかったことから、道路公社の活用により事業着手にこぎつけたのです。
 橋長1015・6m、幅員10・5mの長大橋です。上部工は、経済性を考慮し、鋼連続鈑桁が採用されました。下部工は仮締切工が不要なPCウェル基礎15基、鋼管矢板井筒基礎12基により、大幅に工期短縮を図ったのです。
 当時私は、道路公社の主管課の道路建設課におり、この橋の取付道のため、国有地の払い下げに苦労しておりました。その後、この霞ヶ浦大橋は昭和62年3月に完成しました。橋梁工事約2年で供用開始させたのです。まさに、道路公社の底力です。
 この橋は非常に利便性が良く、人気が高かったので、予想よりも交通量がのびました。そのため、有料期限を待たず、平成17年(2005年)に無料開放されたのです。
 道路公社は、昭和46年(1971年)に設立されました。最初に手掛けたのは水郷有料道路です。鹿島臨海工業地帯と潮来市、行方市、県南および首都圏方面を最短で結ぶ、延長9・3㎞の産業道路であり、東関東自動車道潮来インターに直結しております。すでに無料開放されており、主要地方道水戸神栖線の一部となっております。
 そのほかに、道路公社は新利根有料道路や下総利根大橋なども手掛けており、いずれも無料開放しております。
 通常ではなかなか着手できないものを、有料道路事業を活用することにより大幅に早く供用開始できるのです。(次回に続く)

豊島 信拓(とよしま のぶひろ)
 1947年11月10日生まれ。76歳。72年、茨城県道路公社に入社し、工務部調査課(技師)に配属。その後、表筑波スカイライン建設事務所の工務課技師、下総利根大橋有料道路建設事務所の工務課長、常陸那珂有料道路建設事務所長、工務部長を経て、2007年5月に定年を迎え、引き続き道路公社の理事・顧問に就任し、10年に退任。

人生の始まりは有料道路

 昭和47年2月、当時大学近くに下宿していた私のもとへ、父親より速達が届きました。「茨城県道路公社という、県の外郭団体が社員を募集しているので、試験を受けろ」というのです。そして4月1日に辞令交付、旧県庁舎内の本社調査課技師として着任。永きにわたり有料道路に関わる人生が始まりました。
 私の初めての仕事は「表筑波スカイライン」の建設大臣許可申請書作成でした。県庁から出向された先輩職員にいろいろ教えていただき、今までドライブで利用するだけだった道路の建設に関わることに胸を膨らませ、責任を感じる毎日を過ごしたことが思い出されます。今回は、当時のことを思い起こしながら、道路公社が携わったいくつかの事例を紹介させていただきます。
 まず水郷有料道路は、県南方面をはじめ鹿島臨海工業地帯と首都圏を結ぶ9・3㎞の産業道路として計画され、昭和46年に建設大臣許可が下り、工事が開始されました。主な構造物である鰐川橋は、北浦から外波逆浦に流れ、利根川に通ずる河川に架けられました。ここは霞ヶ浦区域の軟弱な地層があり、支持層が深いため、ニューマチックケーソン工法をとりました。上部工は連続箱桁で鋼床版を採用。下部工への死荷重の軽減をはかりました。
 早急な開通が求められたなか、監督担当者は、公共事業とは異なる大規模工事と発注方式に戸惑いながらも力を合わせ、ワンチームで昭和49年4月に工事を完了させました。その後、東関東自動車道が潮来で接続。有料道路は4車線に拡幅され、平成21年12月に無料解放となり、鹿行地区の重要な幹線道路となっています。いつかは私も、このように大きな現場の現場監督になれるよう頑張らねばと、気持ちが高揚したのを思い出します。
 続いて霞ヶ浦大橋についてお話します。霞ヶ浦に架かる初めての橋として、出島・玉造間に架かる1015mの長大橋で計画されました。昭和58年に事業許可を受け、工事が開始。下部工は鋼管矢板井筒12基とPCウェル15基、上部工はRC床版鋼連続版桁(3径間連続と4径間連続)を採用し、管理事務所・料金所・道路施設・舗装まで、工事期間3年で開通式を迎えることが出来ました。
 下部工事の工期短縮が早期完成に繋がることから、仮さん橋の設置、台船等の使用、漁業船舶の往来等、いろいろな協議調整がありました。開通後は時間短縮の利便性が良く、予定交通量を大幅に上回ったことから、料金徴収期間を約10年短縮できました。現場の皆さんの苦労の賜と、大変感謝いたしました。
 次に新大利根橋ですが、取手・柏間の6号国道大利根橋の慢性的な交通渋滞を解消するため、総延長2・4㎞で計画されました。利根川部分はニューマチックケーソン基礎を採用、上部工は鋼連続箱桁RC床版橋を採用しました。国道294号から有料接続部までの公共施工分3㎞を同時供用するため、道路公社が受託施工したのです。監督員は、「潜函作業」という潜水夫と同じ高気圧作業が可能か検査をして、4気圧のケーソン内部地下40mに入り、支持力検査等を行います。
 調節池は盛土構造にしたため、洪水時には交通止めを余儀なくされ、利用者に大きな不便を掛けていました。県・国と協議を繰り返した結果、調節池内盛土部を高架化することに。建設大臣に事業変更許可申請を提出し、平成7年から平成14年まで、交通止めをせず、迂回路をそれぞれ千葉県・茨城県調節池に設置する事で交通路を確保、高架化を無事完了できました。
 こうして全長2・4㎞という長大橋が利根川に出現し、償還金を残さず30年で無料解放できたのは、この路線の経済効果のおかげであるとされ、有料道路制度を上手に活用した事例となりました。国道294号から柏市の接続部まで5・4㎞を、監督員として開通式まで参加・経験できたことで、私の中に大きな使命感・責任感が生まれました。
 最後に下総利根大橋有料道路は、岩井市と関宿町を結ぶ1100mの長大橋を含む延長3・1㎞の路線で、利根川上流に架かる境大橋、下流の芽吹大橋のちょうど真ん中の地点に計画され、国道16号と最短で結ぶ有料道路となります。利根川本流部は新大利根橋と同じ構造にしました。この頃にはテレビカメラがケーソン内部に設置され、監督員はモニターで指示が出来るようになりました。
 千葉側の取付道路は約1㎞で、工事監督、用地交渉などを勘案し、関宿町に建設事務所を開設することになりました。約半年で必要用地の契約調印が済み、工事も計画通り5年で完了。無事に開通式を迎えることが出来ました。
 令和2年1月、30年の努めを終え、下総利根大橋有料道路は県に移管されました。地域の重要路線として、地域住民からも「無料で便利な道路になった」と喜ばれております。工務課長としての初仕事で、関宿町・岩井市の皆さん・農地部の皆さんには、大変お世話になりました。この時、用地取得をいかに早くまとめるかが工事進捗の鍵となることを学ばせていただいたのです。(島津就子)

お問い合わせCONTACT

電子版ログイン