いばらきの公共事業(歴史をたどる)

いばらきの公共事業 県土木部総括技監・部長編④

2024.02.23

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

茨城県の河川と海岸について

渡邊 一夫 氏
元県土木部長

飯村 信夫 氏
元土木部技監兼常陸大宮土木事務所長(当時・県土木部河川課長)

 私は子どもの頃、近くの鬼怒川でよく遊んでいました。夏になると毎日のように泳いでいたのを覚えています。当時、水戸線の鉄橋(川島地区)付近は海水浴場なみの泳ぎ場で、お店が出たりしていたので、よく遊びに行っていました。鮎のシーズンには、竹竿でコロガシなどもやりました。冬場には河川敷でチャンバラ遊びなどもしました。しかしこの頃、まだ上流にダムができていなかったので、台風のたびに大水がでて濁流となり、上流から色々なものが流れてきたのです。川は、いつもは優しいですが、時には牙を剥くこともあるのだと、子ども心に思っておりました。

那珂川 2回分け都市計画決定

 茨城県の一級河川は、久慈川水系、那珂川水系、利根川水系の3つに分けられます。本川である久慈川の下流域、那珂川、利根川、それに利根川水系の鬼怒川、小貝川、霞ヶ浦などは直轄区間として、国が管理しています。
 そして、これらの支川である里川、山田川、桜川、藤井川、涸沼川、恋瀬川、八間堀川、飯沼川などは、二級河川の大北川、十王川などと合わせて、土木部河川課が管理しているのです。河川課は、他に195㎞のうち95㎞の海岸と、7つのダムの管理も行っています。
 台風や大雨、地震のたびに待機して、各土木事務所、工事事務所、工務所と連携し、水位観測や河川、海岸の堤防のパトロールなどを行っています。ここ何度か大きな災害が発生しておりますが、このような時は土木部に、すみやかに対策本部を設け、事務所と連携して対応しているのです。
 私が総括技監・土木部長の時、県では人員削減や組織の縮小化を図っておりました。しかし土木部については、危機管理上どうしても大子の工務所を含め12の出先事務所が必要であり、業界との連携のためにも集約することはできないということを説得しました。12の出先事務所を、名称は変わりましたが全て守りきることができたのは、本当に良かったと思っております。
 ここで、私は那珂川の都市計画決定の思い出を述べたいと思います。
 那珂川は、昭和61年の台風10号により、無堤部や堤防の低いところから氾濫し、多くの地域で甚大な浸水被害が発生しました。国では急ぎ、復旧工事にとりかかると同時に、浸水被害を無くすための河川改修を担保するため、那珂川の都市計画決定を行うというのです。これほど大規模な河川の都市計画決定は初めてだったのではないでしょうか。
 都市計画決定は2回に分けて行われました。最初は昭和63年1月、JR常磐線から上流側の約15・5㎞が決定されました。その後、JR常磐線から下流側の旧那珂湊市の河口まで、約9・5㎞を決定するのです。
 私はその時、都市計画課におり、これを担当することになったのです。道路の決定は何度もしていましたが、河川は初めてでした。道路のメリットは説明しやすいのですが、河川の場合、地元の人からすると土地が値下がりしてしまうなど、デメリットが先行してしまい、なかなか了解がとれないことが予想されました。
 そこで、この地域では那珂川付近の県道小泉水戸線が未改良だったため、河川の堤防の小段を利用して道路も一緒に都市計画決定し、河川整備に合わせて道路整備もすることにしたのです。これらを丁寧に地元の皆さんへ説明し、平成2年8月、なんとか都市計画決定ができました。この時、道路建設課は那珂川に架かる橋梁の協議を積極的に進めましたので、事業が非常にやりやすくなったのは良かったと思います。
 最後に、津波浸水想定図の公表についてです。河川課では大地震による大津波を心配して、国を動かし、茨城沿岸津波浸水想定検討委員会(委員長・三村信男茨城大学教授、当時)を立ち上げ、津波浸水想定図の作成にこぎつけたのです。作業が終わったのは平成19年3月でした。
 しかし、想定図の公表には「地価が下落する、不安をあおることになる」など、否定的な意見があったようです。河川課と協議して、人命が最優先、即公表しようということにしました。私が土木部長の時のことです。
 数年後に東日本大震災が起きましたので、あの時に公表しておいて本当に良かったと、しみじみ思いました。災害時の被害をできるだけ小さくするため、できる手は打っておくべきだと思ったのです。

飯村 信夫(いいむら のぶお)
1960年11月9日生まれ。63歳。入庁時期は86年4月、ダム砂防課に配属。その後は、常総工事事務所長、都市整備課市街地整備室長、河川課長などを経て、2021年3月に技監兼常陸大宮土木事務所長で定年を迎えた。その後は茨城県土地開発公社副理事長兼茨城県開発公社常務理事を務め、現在は基礎地盤コンサルタンツ㈱に勤めている。

経験を糧に災害対応を

 私は昭和61年8月の台風10号豪雨、平成10年8月の那須豪雨、平成23年3月の東日本大震災、平成27年9月の関東東北豪雨、令和元年東日本台風豪雨と、茨城県の災害史に残る大きな災害の対応に関わりました。
 昭和61年豪雨時には、当時の建設省の土木研究所で谷田部流出試験地(S60科学博会場跡地)の流量観測や、氾濫解析を行うための小貝川氾濫状況調査などを行いました。平成10年には、県河川課で洪水情報の伝達や、那珂川逆流により氾濫した県管理河川での樋門設置のための河川縦横断計画作成作業を行いました。
 東日本大震災の時は、河川課ダム砂防室でがけ崩れやダムの被災状況確認・対策検討などの初動対応を行いました。平成27年の豪雨時には、県道路維持課で早期の通行止め解除や、鬼怒川堤防の決壊で流出した県道の復旧などの対応に当たり、翌年には常総工事事務所で、決壊した八間堀川の復旧に携わりました。
 令和元年東日本台風の際は、河川課で洪水情報の伝達、被災状況の確認、災害復旧などに当たりました。伊豆半島に上陸した台風19号による豪雨で、相模川の城山ダムの緊急放流(正式名は異常洪水時防災操作)がテレビ報道されていました。茨城県では夕方から夜間にかけて豪雨となり、県が管理する2箇所のダムでも、やむを得ず緊急放流を行うことになりました。
 特に水沼ダムでは、ダムの計画雨量としている8時間雨量187㎜の約2倍、376㎜を記録し、満水に近いダムの貯水位を上昇させないよう、流入する水量と同量を放流する緊急放流となりました。洪水到達時間1~2時間の状況で、迅速かつ適切なゲート操作が求められる緊張感がありました。大北川では、河川改修や小山ダム、水沼ダムの整備効果もあり、堤防からの越水を免れ、磯原等市街地の氾濫を防いでくれました。
 那珂川では、昭和61年、平成10年の災害を機に、河道掘削・築堤、護岸工事などの河川改修や水府橋、寿橋、JR水郡線橋梁などの架け替えによって、流下能力が向上しました。整備された国・県管理河川では、昭和61年よりも氾濫面積が縮小し、効果が現れたのです。今回の記録的な大雨を考えると、被災はしたものの、対策を進めてくださった先人や公共事業に係わる皆様、事業用地を提供いただいた方々、住民の皆様のご理解、ご協力のお陰と、心から感謝しております。
 また、利根川では試験湛水を開始したばかりの八ッ場ダムを含めた上流ダム群や、渡良瀬遊水地、田中調節池などの洪水調節施設で利根川本川の流量を抑えることができ、その効果を十分に発揮してくれたので、技術者として誇らしく思いました。
 さらに、那珂川のバックウォーター現象で堤防決壊した藤井川上流に位置する藤井川ダムでは、網場が切れることなく大量の流木を捕捉し、湖面が流木でいっぱいになっていました。流木による浸水家屋の倒壊という、最悪の事態を防いでくれたことに感動し、感謝したことを思い出します。復旧・復興では、道路の啓開やがれきの撤去、緊急を要する応急復旧などに迅速に対応いただいた建設業関連の皆様に、改めてお礼申し上げます。
 近年は豪雨災害の頻発化・激甚化により、全国で毎年のように大規模災害が発生しており、ハード対策に加えて、人命を最優先するためのソフト対策が重視されるようになってきました。
 茨城県が管理する中小河川では、時間雨量50㎜(概ね10年に一度降る確率の降雨)を目安に整備を進めていますが、その目安を超える豪雨時は、堤防からの越水や、状況によっては堤防が決壊する恐れがあります。そのため、河川が氾濫してからの危険を伴う避難を避け、氾濫前に避難が完了するよう逆算して防災行動を取るマイ・タイムライン作成の取り組みが、平成27年の鬼怒川氾濫を契機に全国各地で進んでいます。
 各自、災害に備えて、自分の身は自分で守ることを意識し、浸水や土砂災害、津波など災害の恐れが予想される区域を示すハザードマップなどで災害リスクを確認いただき、速やかに避難できるよう心掛けていただきたいと思います。
 県内では、令和元年の災害を受けて、那珂川および久慈川の緊急治水対策プロジェクトや、流域治水などの取り組みが進められています。公共事業に携わる皆様には、これまでの災害対応などの経験を今後の糧にして、今の取り組みが次の災害防止・軽減につながることを頭に描いていただき、引き続き住民の安全・安心の確保、地域の発展に貢献していただきたいと切に願います。(島津就子)

お問い合わせCONTACT

電子版ログイン