いばらきの公共事業(歴史をたどる)

いばらきの公共事業 県土木部道路建設課編⑨

2023.12.16

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

桜川土浦自転車道(つくばりんりんロード)の思い出

渡邊 一夫 氏
元県土木部長(当時・県土木部道路建設課)

茅根 継雄 氏
元県企業局次長(当時・県土木部道路建設課係長)

廃線敷40・1㎞を一括取得

 最近では乗りませんが、私は高校生の頃まで自転車をかなり利用しておりました。中学生の時は学校まで自転車通学をしましたし、高校生の時は最寄りの駅まで自転車を利用しておりました。小学校1~2年の頃だったと思いますが、自転車に乗りたくて猛練習したのをよく覚えております。転んでも転んでも、頑張りぬいたのです。子どもですから、大人の自転車のサドルに跨ると足がペダルに届きませんでした。やむを得ず、三角乗りを覚えたのです。曲がりなりにも乗れた時は本当に嬉しかった、懐かしい思い出です。

 桜川土浦自転車道(つくばりんりんロード)は、桜川市の岩瀬駅前から筑波山麓を南下し、土浦駅東口付近に達する延長約40・1㎞の自転車道です。国の大規模自転車道の制度により、補助事業の採択を受け、整備したのです。
 通常の自転車道は、河川や湖の堤防などを利用して整備されるのですが、この路線はちょっと生い立ちが違います。かつては筑波鉄道が走っていたのですが、昭和62年(1987年)、鉄道が廃止となりました。私が道路建設課から企画部の鉄道交通課に移り、常磐新線(つくばエクスプレス)の事業化に奔走していた時のことです。鉄道の廃止に伴い、ほぼ並行して走っていたつくば益子線に代替バスを走らせることになりました。土木部と協議して、バス停整備の協力をしたことをよく覚えております。
 私が企画部から都市計画課に移った平成2~3年の頃は、まだ鉄道跡地の処分が決まっておりませんでした。筑波鉄道の担当幹部に聞いたところ「どうしようもないので、隣接地主さんに買っていただくしかない」などと言っておられました。
 40・1㎞の土地をばらばらにすることなく、何とか活用できないかと、道路建設課と都市計画課で協議しました。道路用地としては狭すぎるし、隣接県道を整備中でしたので、救う道は大規模自転車道しかないということになりました。さっそく道路建設課が国と協議を重ね、晴れて平成3年、補助事業に採択されたのです。
 ちょうどその頃、土木部では土地開発公社を立ち上げ、都市計画課が主管課となっておりました。どうせなら土地開発公社資金を使い、一括して筑波鉄道から用地取得をしてしまおうと考えました。当然、筑波鉄道とは綿密な打ち合わせを重ねながら進めたのです。
 こうして、駅舎跡まで含めて廃線敷を全部一括して取得しました。毎年補助金がついた分、土地開発公社から再取得していくのです。少し余裕ができてから、自転車道を少しずつ整備していくことにしたのです。
 平成7~8年、私は道路建設課の県道の補佐となり、再取得をしながら、本線はもとより休憩所をつくったりして、着実に整備を進めました。隣接住民の皆様には、桜の木を植えたり環境整備などにご協力いただきました。
 一方、平成12年。私が技術総括の時、新たに潮来土浦自転車道(霞ヶ浦自転車道)延長約40㎞を採択いただきました。こちらは堤防を利用しての自転車道です。何度も現地に行き、細かい打ち合わせをしたのを覚えております。
 後に、この2つの自転車道が合体して桜川土浦潮来自転車道(延長81㎞)となり、活躍しているようです。

茅根 継雄(ちのね つぐお)
1959年3月1日生まれ。64歳。入庁時期は83年、道路建設課に配属。その後は、港湾課技佐兼技術総括、県南水道事務所長、企業局施設課長、企業局次長などを経て、2019年3月に定年を迎えた。22年6月まで開発公社常務理事を務めた後、現在は日拓測量設計㈱に務めている。

鉄道跡地を有効活用

 近頃、車を運転していると、車道左側に設置された矢羽根マークが目立つことに気づきました。また、ロードバイクやクロスバイクの交通量も随分増えているように感じられます。これは、茨城県が推進している「いばらきサイクルツーリズム構想」に基づく、各施策の結果であるようです。
 この構想は、「『つくば霞ヶ浦りんりんロード』を活用した地域創生の取組をさらに深化させつつ、県内各地域の特色を最大限に活かしたサイクルツーリズムを全県的に取り組み、地域の活性化等につなげていくもの」であるとのことです。
 私は、この「いばらきサイクルツーリズム構想」の先駆けとなったのが「つくばりんりんロード」であると考えています。正式名称は県道岩瀬土浦自転車道線(現・県道桜川土浦潮来自転車道線)。岩瀬町(現・桜川市)と土浦市を結ぶ延長40・1㎞、幅員4/3mの大規模自転車道です。
 つくばりんりんロード整備のきっかけについてですが、当時はサイクルツーリズム構想のようなものはなく、筑波鉄道の廃線(昭和62年3月)という深刻な問題への対応のためでした。交通網の消失は、その地域の生活・経済活動に深刻な影響を及ぼすものであり、代替えバス等、様々な施策が講じられたようです。その施策の一つが、鉄道跡地の有効利用と地域活性化を目的とした自転車道の整備だったのです。土木部にこの施策が回ってきたのには、渡邊さんの活躍があったようです。
 平成3年4月に国補大規模自転車道整備事業として整備を開始し、80億円余の事業費をかけ、平成14年5月に全線供用を開始しました。まずは駅舎跡地を含めた廃線跡地全てについて、土地公社を活用して一括購入し、毎年再取得しながら順次整備を進めていきました。6箇所の駅舎跡地は、休憩所としてトイレ、駐車場等の整備を行いました。
 私が自転車道に関わったのは、道路建設課に所属した6年間(道路公社含む)のうち2年間だけでした。それなのに「道路建設課では主に何やっていたの?」と聞かれると、思わず「自転車道」と答えてしまうほど、この事業が心に残っています。おそらく、自転車道は奥深い趣味の世界であり、事務所の担当者も「ウェーヴ路面」など個性的な整備を進めてくれた、面白い事業だったからだと思います。
 開通式では、開催に先立ちダメもとで橋本昌前知事に自転車走行を打診したところOKをいただけたため、急いでクロスバイクとヘルメット、サイクル帽子などを知事公館に届けました。当日、知事には藤沢休憩所から筑波休憩所までの1区間を自転車走行していただきました。各休憩所では沿線市町村にイベントを開催していただいたり、駆けつけた地元住民に抽選で景品を配ったりと、なかなかに盛り上がった開通式だったと記憶しています。知事の乗った自転車も景品になっていました。
 つくばりんりんロードは、開通後も様々な問題が残っていました。その最たるものが、一般道との交差です。150箇所以上の一般道との交差点が、悉く自転車道側の一時停止でした。このままでは自転車が走りづらいということで、土浦土木事務所の方々が尽力し、大部分を解消したと聞いています。
 もう一つの大きな問題が、霞ヶ浦自転車道との接続です。接続すれば日本一ながらも、間に常磐線があり、りんりんロード供用当時はまだ構想段階でした。平成28年には、県道桜川土浦潮来自転車道線として路線認定され、一本化されました。さらに、愛称も「つくば霞ヶ浦りんりんロード」に改定されたのです。
 つくばりんりんロードは、開通当時の担当者の思惑以上に拡大を続けているように思います。鉄道の廃線対策が、いつの間にか県の施策となっていました。自転車道は、軽快な趣味の道。永久に楽しめれば幸いです。(島津就子)

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