いばらきの公共事業(歴史をたどる)

いばらきの公共事業 県土木部港湾課編②

2023.05.27

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

大洗と大洗港のおもいで

渡邊 一夫 氏
元県土木部長(当時・県土木部港湾課課長)

大山 登志彦 氏
元土木部総括技監(当時・県土木部港湾課主査(計画担当))

大洗の魅力を発信し企業誘致 

私は土木職員に採用された年、同期とともに大洗の研修施設で約1週間の宿泊研修を受けました。昼の部はあまり覚えておりませんが、夜は気の合った仲間と、そっと研修所を抜け出したのを覚えております。コーヒーを飲みながら、将来に向けて語り合ったことが懐かしく思い出されます。コーヒーのほかに何を飲んでいたのかは、あまり覚えておりません。
 現在の大洗には、大洗サンビーチが整備され、大型クルーザーが保管できる県内初の公共マリーナがあり、さらに「大洗シーサイドステーション」や「めんたいパーク」などが立地し、港を中心に賑わいをみせております。
 大洗港は、首都圏と北海道を週12便体制で結ぶカーフェリー基地として発展を続けています。平成7年には第4埠頭が完成し、クルーズ船の寄港も可能となりました。
 私が港湾課長を務めたのは、平成14年4月から平成16年3月までの2カ年。苫小牧航路が商船三井フェリーと東日本フェリーの協働配船であった時でした。フェリーの安全運航のため、航路の浚渫はもとより、2者からの要望事項について、できるものから対応したのを覚えております。
 公共マリーナについては、他都県からの船にもっと寄港いただけるよう、条例改正して利用料金の改定を行いました。県外船も、県内船と同じ料金で利用できるようにしたのです。そのため、他県の船も入ってくるようになって、マリーナにもだいぶ活気が出てきたのです。
 特に私が力を入れたのは、港湾用地の企業誘致です。いかにして町にメリットがある企業に来てもらうかを考えておりました。大洗町がどれほど魅力的なのかということをPRしながら、企業誘致を進めたのです。その結果、「八ヶ岳アウトレット」と福岡県の「かねふく」の立地が決まった時は、非常に嬉しかったことを覚えております。2社ともかなりの集客が見込めるため、道路の交差点改良はじめ、いろいろ改良工事を実施しました。
 その後、アウトレットは撤退されましたが、大洗シーサイドステーションとして生まれ変わり、賑わいをみせています。また、かねふくも、明太子工場の見学や直売店での買い物が楽しめる「めんたいパーク」として人気を博しております。
 あの時、みんなで頑張って企業誘致をしたことが、大洗の賑わいを生む一助となったのではないかと、勝手に思ったりしております。

大山 登志彦(おおやま としひこ)
1958年9月19日生まれ。64歳。初入庁時は、常陸太田土木事務所に所属。その後、港湾課計画担当、土木部技監兼道路維持課長などを経て、2019年に土木部技監(総括)で定年を迎えた

 県に入庁して間もない昭和50年代後半、私はカーフェリー就航時の大洗港の整備に従事していました。県道水戸鉾田佐原線も整備の途中で、砂浜や海域の中で港湾整備が進められていたと思います。
 思い出に残っているのは、明治の末から大正にかけて整備された磯浜港の、防波堤の撤去工事です。磯浜港は、現在の大洗港がある場所につくられた港です。大型機械もなかった時代に、先人たちが苦労して築造したものですが、漂砂により埋没し、完全に陸上がりしていました。これを大型重機で取り壊し、撤去していったのです。上部工の一部は、大洗港の整備のための仮護岸に再利用しました。
 このほか、直接的な港湾整備ではありませんが、フェリーターミナルの建設や大貫海水浴場の移設などに従事しました。大貫海水浴場は、移設後は大洗サンビーチ海水浴場として生まれ変わり、今も多くの人に愛されているようです。また昭和60年の3月、つくば万博開幕の前日に、荒天の中でカーフェリーの第一船が入港したことも記憶に残っております。
 その後しばらくの間、港湾関係の仕事には就けませんでしたが、入庁したばかりの頃に関わった大洗港のことは気になっておりました。そして平成14年、再び港湾関係の仕事に従事することとなったのです。
 当時の大洗港は、磯浜港を埋めた漂砂による航路維持などの課題があるものの、フェリー岸壁が2バースとなり、第2フェリーターミナルやマリーナが整備され、背後には大洗マリンタワーや大洗わくわく科学館が建つなど、活況を呈しておりました。
 一方で空き地も多く、更に発展する可能性を秘めていましたが、なかなか土地利用が進んでいない状況にありました。このため、当時の課長が先頭となって企業誘致に取り組みました。町のためになる企業誘致が叶うよう力を尽くし、その甲斐あって、かなりの土地が活用される計画となりました。あの頃の努力があったから、商業施設やレクリエーション施設が立地する現在の状況に繋がったのかもしれないと思うと、喜ばしい気持ちになります。
 また、同時期には京浜地区から大洗港へ土砂を搬入するという計画がありました。計画の内容は、イベントバースに陸揚げし、後背地の民地に処分するというもの。観光面に影響が出る可能性や、地元地権者の声があったこともあり、急遽、廃棄物対策課によって対策が打たれ、土砂の適切な取り扱いに関する条例が制定されました。これらにより、最終的に土砂搬入は行われないことになったのです。このおかげでクルーズ船の利用など、海洋性レクリエーション基地としての機能が確保されたのではないかと思っております。
 大洗港近辺では、これから道の駅整備計画や、マリーナのリニューアル等があると聞いております。港の整備に微力ながら携わったものとして、更に賑わいと活況溢れる港区となることを、心より楽しみにしております。

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