茨城の歴史点描

茨城の歴史点描62 徳川光圀の謎③

2023.12.01

茨城の歴史点描

茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博

 謎が多い光圀の生涯。つぎは「なぜ、不良少年が突然学問に目覚めたのか」という話です。
 光圀にとっては、出生にはじまり、ついで藩主後継者への選出が、いわば「大人の事情」で決められてしまったわけですが、成長するにつれて、その役割の重さを自覚するようになったと思われます。
 周囲の期待も高かったでしょうから、本人が感じた重圧感は相当なものがあったと思われます。そこから逃避するためか、少年期の光圀はしばしば屋敷を抜け出し悪友と遊びまわります。浅草あたりまで足を伸ばしたこともあったようですが、その恰好は「(はす)()者(浮気で軽はずみな者の意)(かぶ)()者(異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと)に少しも違わず」「水戸様の後継ぎとは思えない」と教育係を嘆かせたほどでした。
 もっとも父頼房の教育も、刑場の生首を夜間に取りに行かせたり、洪水後の死体も流れてくる川を泳いで渡らせたり、というような戦国時代を彷彿とさせるものでした。
 このようにおおよそ学問とは無縁な生活を送っていた光圀でしたが、大きな転換を迎えます。『大日本史』の序文に「先人十八歳伯夷伝を読み蹶然としてその高義を慕い」とありますが、これは先人(光圀)が十八歳のときに『伯夷伝』を読み、強くその高い「義」を慕った、という意味で、これが学問に志し、ついに『大日本史』を編さんすることになるきっかけとなったとしています。
 『伯夷伝』とは、紀元前中国(漢)の歴史家司馬遷(作家司馬遼太郎のペンネームの由来です)の『史記』に含まれる「伯夷」と「叔斉」という兄弟(ある小国の王の子)の話です。
 物語は、父王が弟に王位を継がせようとしたところ、彼は「兄が継ぐのが筋」といい、兄は兄で「父の意志は守らねばならない」と、双方譲らないままに二人とも国外に去ってしまった、というように展開していきます。一般的にはこの兄弟の欲のない高潔さが、同じような境遇であった光圀の琴線に触れたことが転機となった、と解されています。
 ところが、物語には続きがあり、伯夷、叔斉は紆余曲折の末、山中で餓死してしまいます。司馬遷は道徳的に正しいことをしてきた二人が、なぜ悲惨な最後を遂げてしまったのか、ということを指摘して「天道、是か非か」という言葉を発しています。
 人の一生は天道すなわち「天命」に左右される、という点に光圀は衝撃を受けたのかも知れません。藩の後継者という天命を受け入れること、それにふさわしい徳を身につけることに気づいたのではないでしょうか。

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