茨城の歴史点描

茨城の歴史点描⑯ 京都に水戸藩の跡を訪ねて①

2021.12.07

茨城の歴史点描

 秋も深まり紅葉も鮮やかになってきました。紅葉といえば京都。旅に出るには、まだまだコロナが心配なところですが、今回と次回は水戸藩にゆかりのある京都の遺跡を紹介しましょう。
■龍安寺
 まずは洛北の龍安寺です。「虎の子渡し」と称される、枯山水石庭で有名な臨済宗の寺ですが、ここには光圀の寄進と伝えられる「吾唯足知」の文字が刻まれた蹲(つくばい)が、茶室蔵六庵の前にあります。
 ところが、『大日本史』編さんの一環として、水戸藩が龍安寺塔頭から本を借用した記録はあるのですが、蹲などを寄進したという記録はありません。光圀寄進という伝承がいつ生まれたのかは現時点では謎です。
■本圀寺
 つぎに東山を越えた山科の地に足を伸ばしてみましょう。ここに身延山久遠寺と並ぶ日蓮宗の中心寺院本圀寺があります。江戸時代は市内の西本願寺隣に大伽藍を有していました。
 もとは「本国寺」と表していましたが、光圀から同寺で生母の追善供養を行った際に、その名の一字「圀」を与えられて現在に至っています。
 そういう縁で、幕末の文久三年(一八六三)三月に藩主慶篤が弟松平昭訓(徳川斉昭の一四男)とともに、藩士千人を率いて上洛した際の宿舎とされていました。
 慶篤が江戸に帰った後も、昭訓の指揮下に百人以上の藩士が残り、御所や二条城などの警備にあたっていました。 のちに二百人以上に増員された藩士たちは「本圀寺勢」といわれるようになります。天狗党と同じく尊攘派が多数を占めており、戊辰戦争が行われているさなかに、勅命を得て水戸に帰着、市川三左衛門など門閥派の追討の主体となっています。
■長楽寺
 最後に東山に戻り、円山公園奥の長楽寺を訪ねてみたいところです。市街を見渡せる裏山に「尊攘苑」と名付けられた水戸藩関係者の墓地があります。
 水戸ではあまり知られていない場所ですが、ここには、本圀寺滞在中に十六歳で亡くなった松平昭訓や、「戊午の密勅」の件で処刑された鵜飼吉左衛門親子、本圀寺勢を率いて上洛するも病に倒れた大場一真斎、そして水戸藩士から、徳川慶喜側近となって活躍、大河ドラマ「青天を衝け」にも登場し、慶応三年(一八六七)に幕臣に暗殺された原市之進らが眠っています。

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