いばらきの公共事業(歴史をたどる)

いばらきの公共事業 県土木部道路建設課編③

2023.08.10

いばらきの公共事業(歴史をたどる)

5ルート6路線、肋骨道路の整備について

渡邊 一夫 氏
元県土木部長(当時・県土木部道路建設課)

宮本 正治 氏
元県土木部技監兼検査指導課長(当時・県土木部高萩土木事務所肋骨道路対策室)

山との調和を図り早期供用

 県北の南北軸としては、東側から国道245号、6号、349号、118号、123号が走っており、東西軸として国道293号、461号が走っております。国道6号は国が、その他は県が着実に整備を進めております。今回の肋骨道路は、この東西軸を補完するもので、県が積極的に整備を進めたものです。

 昭和57年6月、私は道路建設課へ転勤になりました。県内の国県道改良事業を全て取り仕切る、改良グループの一員になったのです。科学万博のための道路整備が大忙しの頃でした。
 同時に県北振興のため、「肋骨道路整備事業」が進められておりました。私はその名称もですが、プロジェクトのスケールの大きさにびっくりしました。臨海部の国道6号と内陸部の国道349号の間には、阿武隈高地があります。それを横断する5ルート6路線の県道を、同時進行で整備するというのです。
 南側から①県道日立常陸太田線②日立山方線③十王里美線④高萩大子線(国道461号)⑤高萩塙線・北茨城大子線です。
 道路改良事業は通常、2車線以上で整備するのですが、やむを得ない場合は1・5車線(2車線と1車線を組み合わせたもの)、また1車線でところどころに待避所を設けるものも認められておりました。肋骨道路は、この3つの規格の組み合わせで進められたのです。山との調和を図りながら、極力早く供用させるためでした。
 補助事業になかなか馴染まないところは県単独費が用意され、高萩土木事務所に肋骨道路対策室が設けられ、整備が進められました。私は長い間、この事業に携わったのです。
 十王里美線では、十王ダム事業との調整があり、難航地権者には一緒に協力にあたったりもしました。
 日立山方線の本山トンネルは、日立鉱山の採掘後、アリの巣のように残されていた坑道の間を通す計画でした。当時のデータを分析し、コンサルタントを交えて土木事務所と何度も打ち合わせを行い、トンネル位置を決めたのです。
 高萩大子線には花貫渓谷があり、環境と景観に十分配慮しながら進められました。この路線は、途中で高萩市の国道6号から常陸太田市、大子町を経て栃木県日光市に至る、国道461号に格上げされました。
 懸案だった6号タッチの部分については、常磐線が国道6号の300m付近にあったため、常磐線を立体で跨いでもそのまま素直に6号にタッチできないのです。色々な案を検討した結果、ルートを大幅に日立市側へふり、余裕をもって常磐線を跨いだ後、常磐線に平行して北上させ現道に戻す形になったのです。
 高萩塙線は、常磐自動車道高萩ICのアクセス道路となり、インターから6号までは高萩インター線となっております。
 この大きなプロジェクトは長い時間がかかりましたが、できあがって本当に良かったと思っております。

宮本 正治(みやもと まさはる)
 1951年11月18日生まれ。71歳。初入庁は78年で、都市計画課に所属。その後、高速道路対策室長、道路維持課長を経て、2012年に土木部技監兼検査指導課長で定年を迎えた。現在は県職員当時の経験を活かし、㈱アイワ技研に勤務している。

 私は平成元年4月からの5年間、高萩土木事務所肋骨道路対策室に勤務しました。当時、国道6号から多賀山地を抜け、国道349号を結ぶ2車線の道路はありませんでした。
 日立山方線は、1車線のトンネル(本山隧道)と、急勾配で曲がりくねった区間があり、大型車の交通や冬期の交通で非常に不便をきたしていたのです。また、高萩大子線(現国道461号)は約4㎞の区間が1車線でした。その他の路線は推して知るべし。肋骨道路整備は5ルート6路線のうち、主要地方道であったこの2ルートの整備を重点的に行いました。
 私が最初に担当したのは日立山方線で、本山トンネルとその前後の道路整備を2名で担当しました。この区間は、日立山方線の中でも最後まで残った未改良区間です。トンネルは、日立鉱山の採掘坑道があった区域を通過するので、なるべく旧坑道と遭遇しないよう線形が決められました。地質は大部分が日立変成岩の互層で、掘り進むごとにすぐ地質が変わるという、非常に施工条件が悪いところでした。
 工法はNATM工法が採用されました。地質の変化や旧坑道の対処に対応しやすいことが採用の理由です。今では、NATM工法は山岳トンネルの一般的な工法ですが、当時は矢板工法が在来工法と呼ばれ、主流でした。
 トンネルの延長は942mで、当時茨城県の施工では最長。NATM工法も、県施工では初めてです。引き継ぎを受けた時、工事は掘削を終え、舗装工事や非常用設備等の付帯工事だけが残っている段階でした。トンネル掘削工事こそ土木工事の花形だと思っている私にとって、この工事を担当出来なかったことは非常に残念でした。事業は順調に進み、平成2年1月に無事完成しました。
 平成2年4月からは、高萩大子線の担当に加わりました。はじめは現道拡幅区間(大能工区)を担当し、完成後にバイパス区間(中戸川工区)の担当になりました。この工区は約4㎞で、花園・花貫県立自然公園の特別区域を通過します。このため、自然環境の保全と景観への配慮が必要で、また県北山岳地であるため地形が厳しく、起終点の高低差も大きいことから、道路線形を決定する際には多くの苦労があったようです。
 私が担当になった時には、花貫渓谷沿いのルートを避け、8つの橋梁と2つのトンネルを有する大規模なバイパスとする計画が出来ていました。大きな課題は施工計画です。担当同士で検討を繰り返し、どこからどういう方法(進入路や仮設道路、架設方法)で工事を行うかを決めました。この計画に基づき、トンネル、橋梁、道路改良工事を計画的に進めます。
 しばらくして、花貫第一トンネルの工事が出来るようになりました。トンネル抗口予定地まで、工事車両を搬入することが出来るようになったのです。このトンネルは地質調査から設計、工事の発注まで行いました。しかし本格的な工事に入ろうとする平成6年4月、私は道路建設課へ異動となり、またしてもトンネル掘削の醍醐味を味わうことは出来ませんでした。
 後任の担当は、花貫第一、第二の2つのトンネルや、花貫大橋等8つの橋梁、多くの法面工事を含む道路改良工事を竣工させ、平成9年2月には中戸川工区全体が完成しました。
 肋骨道路の整備によって、県北地域の道路事情は大きく改善されました。冬期の交通止めが減り、交通量も増えました。花貫渓谷では、汐見滝吊り橋がSNSなどの人気スポットとして取り上げられ、新緑や紅葉の季節には多くの人が訪れております。最近注目されている県北ロングトレイルのアクセス道路としての役割も果たせるでしょう。
 昨年には、常陸太田工事事務所管内の北沢トンネル(国道461号)が完成し、臨海部の国道6号から大子町の国道118号まで2車線の道路で結ばれました。肋骨道路整備の考え方が受け継がれ、さらに大きいものになっていると思います。
 仕事に生活に、そして観光にと、多くの人々がこれらの道路を大いに利用してくれればと願っています。数ある温泉や名所、名勝を訪れるドライブは特におすすめです。(島津就子)

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