茨城の歴史点描

茨城の歴史点描㊱ 「江戸仕掛け」―水戸藩主が仕掛けた景気振興策―

2022.09.30

茨城の歴史点描

茨城県立歴史館史料学芸部 特任研究員 永井 博

 土浦全国花火競技大会の三年ぶりの開催が決まりました。コロナの終息はまだ先になりそうですが、すっかり沈滞した経済状況を打破するには、まずは人々の気持ちを少しでも明るくすることが先決でしょう。そうした観点は江戸時代にもありました。
 江戸時代は、最初の約一〇〇年間は新田開発の進展などにより「高度成長」をとげた時代でしたが、十八世紀末の「天明大飢饉」は、東北から関東を中心に江戸時代始まって以来の大不況をもたらしました。
 水戸城下もその波に見舞われ、人々の気持ちもすさみ、「このごろ武士による殺人や傷害事件が多い」というありさまでした。
 当時の水戸藩主(六代)は徳川治保でした。自らが老中に推薦した松平定信が幕政改革を推進するのに合わせ、藩政改革を推進、不況の打開に立ち向かいました。
 具体的には藩士の給料を事実上半減し人件費を削減、藩に献金した農民を「郷士」として取り立て収入増を図り、一方では風俗取締り、文武奨励など精神的な締め付けを厳しくしました。
 ところが、寛政十一年、治保は付家老中山信敬を水戸に派遣し、今までの締め付け政策とは正反対の城下振興策を矢継ぎ早に実施しました。
 主なものは、春秋の「馬市」開催、江戸芝居や相撲興行、千波湖の夜船解禁、絹服の解禁などです。
 馬市には、周辺の村々から多くの人が集まり、見世物小屋が立ち並び、芝居や相撲も多数の人を呼び込みました。夏の夜は、千波湖上の船からの三味線や太鼓の音が城下に聞こえたことでしょう。当時の記録には「水戸城下はもともと質素な雰囲気だったのが、にわかに大都会のようになってしまった。飲食店の多さや衣服の華麗さはほとんど江戸と異ならない」とか、「昨日の田舎気質が、さらりと消えて風俗はたちまち都仕立となり、あたかも大都会が湧き出したようだ。このような繁昌を目の当たりに見る嬉しさに武家、農家も浮かれたっている」と記しています。  この政策は、人々の消費を促し景気回復を図るというだけではなく、長く続いた緊縮政策ですっかり萎えた人々の「気分を変える」という意図で行われたものと思われます。しかし、農業生産力を回復させることが先決と考えていた藩内から批判を浴び、質素倹約を進める幕府からも中止の命があり、この「江戸仕掛け」政策は一年も満たないうちに幕を閉じてしまいました。

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