秀吉と佐吉少年の出会い
2026.04.09
寄稿 自民党茨城県連最高顧問 岡田 広氏

豊臣秀吉が鷹狩りに行ったときの話です。
秀吉は一生懸命に獲物を求め、野原を駆け巡りました。鷹狩りが終わり城に帰る途中、観音寺というお寺がありました。秀吉は、鷹狩りで馬にまたがり野原を駆け巡ったので、のどが渇いて仕方がありません。秀吉は観音寺の門前に立ち、大きな声で「誰ぞおらんか、茶を所望いたす」と叫びました。
観音寺には、16歳の佐吉という少年がおりました。佐吉少年は、秀吉が鷹狩りに行って野原を駆け巡ったので、のどが渇いて仕方がないだろうと思い、お茶を入れに台所に入りました。
佐吉少年は、大きな湯飲み茶碗にぬるめのお茶をいっぱいに入れて、秀吉の前に差し出しました。秀吉は、差し出されたぬるめのお茶を一気に飲み干しました。がぶ飲みということだったと思います。しかし、それでものどの渇きは癒せませんでした。
「もう一杯、茶を所望いたす」と秀吉は言いました。
佐吉少年はまた台所に入り、秀吉のためにお茶を入れました。同じ湯飲み茶碗で、今度は7分目ぐらいの分量で、前より少し熱くして秀吉の前に差し出しました。秀吉は、前より時間をかけて2杯目のお茶を飲みました。
秀吉は「この少年は、私に茶を2回入れてくれた。1回目と2回目では茶の分量も湯加減も違う。もう一度、茶を所望してみよう」と考えました。 そこで秀吉は「もう一杯、茶を所望いたす」と言いました。
佐吉少年はまた台所に入り、今度は小さな湯飲み茶碗で、半分くらいの分量で熱いお茶を入れて秀吉の前に差し出しました。秀吉はフーフーさましながら、熱いお茶をゆっくりと時間をかけて飲み干しました。
そこで、また秀吉は「この少年は3回私に茶を入れてくれたが、3回とも湯加減も茶の分量も違っている。なかなかおもしろい少年だ。見どころのある少年だ」と考えました。秀吉は観音寺の住職に直談判し、佐吉少年を自分の家来にもらい受けました。
佐吉少年は、お寺の茶坊主から秀吉の家来になり、その後は兵の技術や学問を学んで、すくすくと成長しました。
秀吉が亡くなった後、天下分け目の対決といわれる関ヶ原の戦いが行われました。東軍の総大将は徳川家康、西軍の実質上の総大将は石田三成です。
石田三成その人こそが、16歳で秀吉の家来となった佐吉少年でした。秀吉の立場になってお茶を入れたことによって、人生が変わったという話です。お茶を入れること一つをとってみても、相手の身になって、相手の立場になって考えていただきたいということであります。

