「茨城の防災」危機管理を問う

茨城の防災 危機管理を問う 4

2025.04.25

「茨城の防災」危機管理を問う

元県筑西土木事務所長 深作 正志氏
 1961年4月18日生まれ。64歳。86年4月に入庁、県土木部港湾課に配属。その後は、土木部道路建設課高速道路対策室室長補佐、営業戦略部宅地整備販売課整備調整室長などを経て、2022年3月に筑西土木事務所長で定年を迎えた。現在は㈱大貫工務店に勤めている。

災害体験の記憶呼び起こす

 私は県職員時代、幸か不幸か災害復旧に関わる業務に直接携わったことが無いので、まず始めに、特に印象に残っている2つの災害体験をお話ししたいと思います。
 1つ目は、私が県の新規採用職員として、港湾課に配属された年である昭和61年8月に発生した那珂川の大洪水です。
 その日は朝から、前日の台風10号による大雨が嘘のような快晴で、まさか那珂川が氾濫するとは夢にも思っていませんでした。しかし、時間の経過とともに那珂川の水位はどんどん上昇し続け、正午頃には水戸市の根本町や水府町、青柳町、中河内町などが大洪水に見舞われて、川と陸地の区別が全く付かない状況になってしまいました。
 その当時の県庁は三の丸にあり、本庁舎(現三の丸庁舎)の隣にあった分庁舎の屋上から、住民の方々が自衛隊のヘリコプターで次々と救助される状況を見て衝撃を受けると共に、澄んだ青空と茶色く濁った濁流の奇妙な光景が今でも強く印象に残っています。
 2つ目は、高速道路対策室の室長補佐として、道路建設課に所属していた平成23年3月に発生した東日本大震災です。
 課内で通常業務を行っていた時です。最初のうちはそれほどひどい揺れではありませんでしたが、徐々に大きな揺れとなり、県庁舎の19階だったこともあってか、ついにこれまでに経験したことのない長時間の大揺れに見舞われ、机の引き出しが飛び出し書棚はバタバタと倒れていきました。私の後ろには課共用の大型コピー機があったのですが、キャスターが付いていたため激しく動き出し、危うくコピー機に轢かれるところでした。
 しばらくして揺れが収まると、今度は火災発生の庁内放送が流れ、急遽庁舎の外に避難することになりました。当然エレベーターは動かないため、大混雑の非常階段を使って、鳴り続けるアラームに肝を冷やしながら19階から1階まで下りたのを覚えています。
 その後、火災感知機の誤作動であったことが分かり、19階まで階段で戻ることになりましたが、日頃の運動不足が災いし、課内に着いた時には足がガクガクでした。それからは待機班として課内に留まり、朝まで高速道路の通行止めや復旧情報等の収集と報告にあたりました。夜に窓から見た水戸周辺は、停電のため見渡す限り真っ暗で、県庁だけ明かりが点いていたため、高層の庁舎がまるで孤島の灯台のようでした。
 実は、その当時に北関東道で唯一未開通であった太田桐生IC~佐野田沼IC間の開通を間近に控えており、沿線3県の担当課同士で連携しながら、全線開通記念イベントの準備を念入りに進めていました。3月13日に栃木県内の開通区間で開催予定だったのですが、その2日前の震災により中止になってしまい大変口惜しい思いをしました。
 イベントだけでなく、後の全線開通式典も中止となりましたが、本区間は3月19日に無事開通し、同時に北関東道は被災地への物資供給のための緊急輸送道路として重要な役割を果たすことになりました。

6日間で開通、世界中から賞賛

 東日本大震災発生時、高速道路の通行止め解除の情報を収集していく中で、常磐道の水戸IC~那珂IC区間の一部が150mにわたって大きく崩落したものの、NEXCO東日本がわずか6日間で開通させたニュースが入ってきました。このニュースは国内外で引用され、復旧のあまりの速さに「日本の道路屋はどんな魔法を使ったんだ」といったコメントと共に、世界中から賞賛の声が上がったのを覚えている方もいらっしゃると思います。
 まだ震災から数日しか経っておらず、悲惨な被害状況を刻々と伝えるニュースに多くの人が心を痛めていた中で、日本の土木技術者の底力を国内外に示すだけでなく、復興への希望を奮い起こさせる出来事でした。
 後から聞いた話ですが、NEXCOの各管理事務所では、災害に備えあえて道路やSAなどの改修工事を分散させ、1年中どこかで工事をしている状態にしておき、いつ災害が起きても即座に対応できる体制を取っているそうです。
 建設業は、これらの洪水、地震をはじめとする自然災害やパンデミックなどの非常事態が発生した際に、インフラの復旧や仮設住宅の建設といった社会的な使命を果たす業種であるため、非常事態時における事業停止や遅延は、被災者や復興支援に大きな影響を与えてしまいます。特に近年、頻発化、激甚化する自然災害に備えて、危機的状況に直面した際の損害を最小限に抑えつつ、事業の継続と早期の復旧を図るための事業継続計画、いわゆるBCPの策定が強く求められています。
 近年、国や県発注の公共工事において、総合評価落札方式の評価項目にBCPの認定の有無が加えられたことも後押しとなって、全体的に建設業のBCPの策定率は年々高まってきており、令和5年度の国の調査では63・4%に達し、前回の令和3年度調査から10・6ポイント増加しているそうです。私が勤めている大貫工務店でも、既に11年前の平成26年にBCPを策定し、その後も継続して国の認定を取得しています。
 その一方、策定に必要なノウハウやスキルの不足、人手や時間の確保の困難さ、策定のコストや効果の見え難さなどから、事業規模の小さい会社では策定が進んでない実態もあり、その裾野をどうやって広げていくかが、今後の建設業界全体の課題になっています。
 災害時における会社の事業継続の重要性と同様に、自分自身の生活継続もまた大切であり、いざという時に速やかに家庭や家族を守る行動が取れるよう、私も日頃からしっかりと防災意識を持ち、合わせて健康継続、夫婦継続にも気を留めながら暮らしていきたいと思っています。

写真提供/NEXCO東日本

お問い合わせCONTACT

電子版ログイン

未来e-net