茨城の防災 危機管理を問う 2
2025.02.28
「茨城の防災」危機管理を問う


元県土木部技監(総括) 照沼孝雄氏
1976年に入庁し、土木部河川課に配属。その後は河川課ダム砂防室長、県土木部技監兼河川課長、水戸土木事務所長などを経て、2014年3月に土木部技監(総括)で定年を迎えた。
3・11東日本大震災を振り返る
東日本大震災から丸14年が経とうとしています。政府の地震調査委員会が公表している予測地図では、水戸市が今後30年間で震度6弱以上の激しい揺れに襲われる確率は81%とされています。
また、近年本県内を含め全国各地において、過去に経験したことがない観測史上第1位を更新するような豪雨が頻発し、そのたびに大規模水害等が発生しています。
このような中、東日本大震災(平成23年3月)を風化させないためにも、土木部河川課(平成22・23年度)、水戸土木事務所(平成24年度)在職当時の対応、想いの一端をお伝えし、防災について考える糸口となれば幸いです。
東日本大震災は、誰しもが初めて経験する大規模地震・津波災害であり、時々刻々と報道される惨状、余震、放射能の問題、ガソリンもない…。このような不安が入り混じる中で、災害復旧に関する業務をスタートさせました。
まず、応援協定に基づき(社)茨城県測量設計業協会には、全体で被害箇所773箇所、延長420㎞、急傾斜地266箇所という膨大な調査をしていただきました。
これらの報告を受け、河川堤防については、洪水による更なる被害の拡大を防ぐため、6月の出水期前までに応急復旧を行い、翌年(平成24年)の6月までに概成させること、地震、津波により越波、倒壊した堤防施設設計の基礎資料を得るとともに、津波に襲われ大規模原子力災害の可能性もあった東海第二原子力発電所を念頭に、東北地方太平洋沖地震津波を対象に含む新たな津波浸水想定を早期に公表することの二つの目標を設定しました。
まず、災害査定については、タイトなスケジュールでしたが、国土交通省河川局防災課と調整し、発災後2ケ月以内というほぼ原則どおり5月16日に第1次査定を開始しました。
第1次査定は、これまでにない10班体制で5日間、県事業を中心に434箇所、簡素化により90%が机上査定であり、地震災害の経験が無かったことなどから、資料などが充分ではなく、連日深夜まで行われました。
その後も適宜工法協議等を継続しながら、第8次の9月9日まで延べ116日間に実査定36日間、県河川災及び道路災543箇所、155億円が採択されました。
応急復旧については、始めようにも大型土のう袋、ブルーシートが不足していましたが、関東地方整備局、栃木県、群馬県、山梨県建設業協会から全体で1万2700枚の提供等があり、各土木事務所に運び込まれて、順次応急復旧工事に取り掛かることができました。(正に早天慈雨)
次に津波浸水想定です。「茨城沿岸津波対策検討委員会」(委員長:三村信男茨城大学教授)の地震、津波、海岸の専門家の先生方には、事前に委員就任のお願いをし、第一回を12月、第4回を翌年8月開催し、他都県に先駆けて津波防災地域づくり法による津波浸水想定を公表しました。
加えて「第25回茨城県水際線シンポジウム」(11月10日、笠間市)において、群馬大学片田敏孝教授による「想定を超える災害にどう備えるか~今求められる個人・地域の防災力~」の特別講演を行いました。片田教授は、平成16年から釜石市の防災・危機管理アドバイザーを務め、「釜石の奇跡」の立役者と言われております。
震災対応で極めて多忙の中、県職員のみならず、多数の市町村職員の方々にもお話をお聞きいただきました。
防災情報システムを構築
本復旧工事については、県内河川で最も大きく被災し、当時の羽田国土交通大臣も視察に訪れた涸沼(一級河川涸沼川の一部。湖岸堤総延長20㎞のうち15㎞が液状化等により被災)の事例を紹介します。
災害査定、詳細調査設計、積算を経て、11月から順次20工区の本復旧工事を発注し、目標とした翌年6月の出水期前に概成させることができました。大変肝を冷やした出来事として、5月連休中に爆弾低気圧により涸沼川が増水し、護岸施工中の1つの工区の堤防から溢水しましたが、常陸河川国道事務所、関東技術事務所(松戸市)のポンプ車3台、3日間の緊急排水の応援を受け乗り切りました。
湖岸堤は干拓堤防であったこともあり、液状化の影響を受けやすく、復旧工法では、仮設締切り矢板を本設の液状化対策及び護岸の基礎として、割れ砕けた既設護岸ブロックを根固め、浅場造成にそれぞれ活用することによって、堤防の安定とコスト縮減を図り、自然環境にも配慮しました。
当復旧工事の短期間での概成には、残業体制による護岸ブロック等の前倒し製造、鋼材等の広域調達、復旧工事の執行体制の構築など、多くの企業の協力支援、諸調整に奔走した安全協議会長はじめ、現場技術者の力が欠かせませんでした。
防災は、国、自治体、地域の総力戦です。想定外(死語になりつつありますが)の自然災害であればなおさら迅速、組織的対応が不可欠であり、さらなる防災力の強化に努めなければなりません。特に「情報」は、災害の全体把握、復旧対策の基本方針や全体工程などの決定、組織間連携などにおいて、重要な役割を担います。このため、膨大な情報を収集・伝達・処理・記録する等の諸機能のシステム構築が必須であると考えます。
ところで、防災に携わる建設関係者にとっての災害とは何でしょうか? 勿論私見でありますが、「最も地域の人たちから頼りにされ、力を試されるときであり、非日常の貴重な経験ができる、自力・自信をつける機会」ではないでしょうか。多くの方が、退職時の挨拶に災害時の経験などに触れます。そこには、達成感と誇りがあるように思います。
また、最大の危機管理は、絶対に「東日本大震災等の教訓が生かされなかった」ということがあってはならないことであると考えます。
最後に、私の好きな言葉を記して筆を置きます。
信濃川・大河津自在堰補修工事竣工記念碑の碑文(昭和6年6月 旧内務省技術官僚 当時新潟土木出張所長 青山 士による)
「萬象ニ天意ヲ覺ル者ハ幸ナリ 人類ノ爲メ國ノ爲メ」

