寄稿 自民党茨城県連最高顧問 岡田 広氏 

タブーに挑戦した韓信の「背水の陣」

2026.01.14

寄稿 自民党茨城県連最高顧問 岡田 広氏 

自民党茨城県連最高顧問 岡田 広氏

 私の愛読書の一つに『史記』があります。『史記』の中には、現代を生きる上での数々のヒントとなる話があります。
 麻雀の手役の中で最高の役の一つが「国士無双」です。「国士」というのは、国の中で一番優れている人物のことをいい、「無双」というのは他に並ぶ者がいないという意味です。
 その国士無双といわれた人物が、『淮陰侯列伝』に登場する韓信という人です。韓信は、秦が中国を平定していたころ淮陰という地方に生まれました。若いころから学問の門下に入り、兵法を学ぶなど勉学に励みました。
 浮浪者になったときにも、いずれ出世してみせるという志を持っていたので、剣だけはいつも持ち歩いていました。町の中で気の荒い連中に出会ったときに、「おまえの持っている剣は飾りなのか。度胸があるならこの俺を斬ってみろ。斬れないのだったら俺の股をくぐれ」と言われ、韓信は悔しくなったのですが、こんなことで命のやり取りをするために学問をしてきたのではないと思い、黙って股をくぐりました。以来、韓信は股夫と呼ばれ、あざけられました。
 しばらくして、秦の政治に不満を持っていた項羽や劉邦が反乱を起こしました。韓信は、項羽の軍に雑兵(一番位の低い兵士)として参加しました。次々に献策(上の人に計画を申し立てること)をしましたが、股夫の言うことには耳を傾けてもらえず、採用されませんでした。
 韓信は、劉邦が項羽と違って人の意見を聞く人物だという声を耳にして、項羽の軍を去り、劉邦の軍に加わることにしました。韓信は丞相(王を補佐して政治を司る最高司令官)の蕭何の目にとまり、兵法などの話をしているうちに評価を高め、最後には「国士無双」と呼ばれるほどの大活躍をしたということです。
 趙との戦いで、川を背にして陣を敷き、味方に決死の覚悟で戦わせ、敵を破った韓信の作戦を「背水の陣」と呼びました。昔から川や城壁を後ろにして陣地をとることは、敵が攻めてきたときに逃げ道がないので絶対にしてはいけないといわれてきました。韓信は、約1万2000の軍勢を率いて約20万の大軍と戦うことになったとき、この作戦を用いて一歩も退くことのできない絶体絶命の気構えで戦いに臨んだ結果、この戦いに勝利したということです。
 追い込まれて真剣になったときの人々の強さを利用した戦術は、現代を生きる私たちにとって学ぶべきことの多い話だといえるでしょう。

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